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2013/

11

11

Mon

妖怪やら百鬼夜行が平安京に現れた理由を俺なりに考えてみた

京都の街になぜ妖怪が出たのかという俺なりの仮説

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自分は、妖怪が結構好きです。
 
好きといっても佐野史郎さんのような『ゲゲゲ』フリークというわけではなく、この現代、身の回りに起きるほとんどの事象が科学によって解明されつつある中で、先人たちが何故そのようなものを創作したのかという、そのメンタルのほうに興味があるのです。

近世にぬっぺっぽうが出た怪

たとえば、「ぬっぺっぽう」という妖怪。
全身ぶよぶよ一頭身、肉の塊というブキミな妖怪なのですが、こいつは、江戸時代になって初めてテキストに記録されました。
 
徳川の世に入り、政治もようやく整い、遺された文献には精緻をきわめたものが少なくない近世に、この妖怪は「えどじょうの なかにわに あらわれた」と記録されているのです。実に不思議です。
 
さらに言えば、電話もテレビもあった時代においてなお、口裂け女や人面犬は出現しました。これを「絶対に存在するもの」として「怖がろう、楽しもう」とする人間の心理こそ不思議であり、自分にとっては妖怪そのものよりもずっと興味深いのです。

瑞獣とは乱世における庶民の希望ではなかったか

ちょっと妖怪からはそれますが、麒麟や鳳凰といったいわゆる瑞獣(いいことがあると現れる縁起のいい生き物)も自分の興味を刺激します。
 
怪力乱神を語らなかったはずのあの孔子が、『春秋』の最後に「西のほうの連中が麒麟をとっつかまえた。麒麟です。やあやあ田村クン田村クン」と書いているのです。
 
これら妖怪変化が本当に存在したとは俺も思いません。
――が、では、「ぬっぺっぽうを見た!」(♪ダッダッ・ダダダッ・ダダダダッ!)と言った人は、世間に対し、一体なにを託して「見た」と言ったのか。
 
また、孔子は「こんな乱れた世に麒麟が現れるわけがない」と言って絶望したとも「みんなあの麒麟さんも知らんのか…」と言って世の中がイヤになったとも伝えられていますが、そもそも孔子より前の中国人は、なぜ麒麟という存在しない生き物を創作したのか。
 
俺は、パソコンもケータイも、活版印刷さえない時代に、それは祈りにも似たイマジネイションの発露だったと想像して、ちょっとジンとくるのです。
戦乱や飢饉にあえぐ古代中国の人々が、塗炭の苦しみからの救い主として想像した生き物。それが麒麟であり千鳥であり笑い飯であり。
 
真面目に書けよ俺。

中江克己・著『平安京の怨霊伝説』

では、日本の妖怪たちは――というと、これはちょっと違うような気がする。
そして、その答えをチラッと見せてくれるのがこの本。
中江克己さんの著書『平安京の怨霊伝説』。
 
「日本史は怨霊の歴史である」とは井沢元彦さんの好む言葉ですが、日本のバケモノは、おおむね「怨霊」と「奇異さを楽しむもの」に大別できると考えます。
 
まず、怨霊のパターン。
これには、菅原道真やら平将門といった実在した人間をルーツに持つもの(お岩さんや、口減らしにあった子供の霊ともいわれる座敷童――つまり、後の時代の人々が「バケて出ねばやりきれまい」と思うもの――はここに含めます)がひとつ。
 
そしてもうひとつが、今回取り上げた「ぬっぺっぽう」や、カッパ、究極キマイラの「ヌエ」、そして人面犬といった連中。
この「奇異さを楽しむ」タイプのバケモノは、そこに暮らす人々の生活にある程度の余裕がないと生まれてこないものでしょう。
 
飢えや戦争で世の中が不安だらけなら、自分たちをもっと不安にする妖怪なんか必要ありません。空襲警報が鳴り響く中でジェットコースターを作っても、誰も遊びにきてはくれないということで、衣食足りて妖怪を知る、と。
しかもこのタイプの妖怪の中には、人々を驚かせるだけで、意外と悪さをしないものが少なくない。

平安京の不思議

で、今回ご紹介する『平安京の怨霊伝説』においては、この両方のバケモノたちを、平安時代の京都という街を舞台に教えてくれるのです。
 
考えてみればあの京都というのも不思議な街で、はるか桓武帝の時代から日本の首都であったはずなのに、城壁で守られてるわけでもなく、強力な軍隊が駐屯しているわけでもないのに、公卿たちが夜な夜なチュッチュしながら明治維新までその地位を守り続けた。
 
武士たちが蝦夷の地で、壇ノ浦で、はたまた鎌倉、戦国の世には日本全国、さらには日本を飛び出し朝鮮半島まで出掛けていってドンパチやってたというのに、夜な夜なチュッチュし続けて地位を守り続けた。
ところが、こんな平和の街に戦慄の妖怪が出る。鬼が出る。エイリアンが出る。なぜだ。

私論・平安京に百鬼夜行が出た理由

俺は、長安にならったといわれる、歴史の時間に「碁盤の目のようだ」と覚えさせられる(俺は『マリオペイント』のオリジナルスタンプ作る画面みたい、と覚えてますけど)、あの街の造りに問題があるんじゃないかと思うんですね。
 
昔、都市伝説というか怪談話でありましたよね。
砂嵐の画面になったテレビをカメラで撮影する。これを再生すると、その中にテレビがあり、そのテレビの中にテレビがあり、テレビがあり、その中にテレビがあり……で異次元の扉が開く的な。
 
これは全くもって俺の想像なのですが、人間は、ループするもの、ひいては見分けのつかないものを本能的に恐怖するのではないかと。
 
まだ人間がアフリカにおった頃からの本能として、コイツは襲ってくる動物なのか、コイツは弱いから食べてもいい動物なのかを見分けるために、「見分けのつかない映像に混乱する」のではないかと。
 
交差点だらけの京都の街で、牛車に乗って月のない夜をウロウロしていると、たまには道をまちがえることもある。今の「マルタケエビスにオシオイケ~」よりもずっと複雑な、交差点だらけの道を一本間違えると、昼間とは違う光景にでくわすこともある。見たこともない裏世界の人間が通りがかることもある。これらが百鬼夜行の正体なのではないかと。
 
幽霊の正体見たり、枯れ尾花。
 
 
 
百鬼夜行に連なる鬼の種類を覚えるよりも、こんなことを考えるのが楽しい。自分は人間が好きなので、あの愛すべき妖怪たちを創作した先人達を愛したいトモローなのでした。

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Author ウェブデザイナー久川智夫

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