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2010/

2

11

Thu

天童荒太 『悼む人』のあらすじとレビューと感想…そして「成仏」とは

この本を薦めてくれた子ともう長いこと連絡とってないなあ

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はじめに、俺は天童荒太さんの作品はこれしか知りません。この当時、この作品が好きだった女の子と話をするきっかけ作りとして読んだだけだということで、そしてそれは今の嫁さんではないということで、あしからず。

 
タイトルは 『悼む人』 となっておりますが、日本全国を「悼んで」周っている主人公は、実は主人公ではなくて。
 
巻末にビッシリと並んだ参考資料がガンにまつわるものばかりであるということから、最もウエイトを置いて描かれたのが主人公の母親である、とわかり、六年前に親父をガンで亡くした俺に既視感を抱かせ、患者とその家族に到るまで「おお、よう調べとおる」と感心させたのは、ああそういうことだったのかと、読み終えて思ったわけなのです。
 
ストーリーは、いわゆるオムニバス形式をとっており、「残酷な記事を得意とする週刊誌の記者」、「主人公の旅についてまわる旦那殺しの女」、そして「主人公の末期ガンの母親」がそれぞれ主人公に思いを馳せ、時に不審を抱き、時にその生き方に憧れ、展開してゆきます。

3パターンの死

で、この3パターンが象徴するのは、それぞれ異なる死です。
 
そのひとつは、新聞に載るようなちょっと尋常ではない死であり(週刊誌の記者が象徴する)、ふたつめは、病気で死ぬというありふれた死であり(主人公の母親が象徴する)、そしてストーリーの裏っ側のテーマとして存在するのが、旦那殺しの女とその旦那が象徴する「ちょっと信じられない死」というわけ。
 
しかし、この中でも主人公の母親に「重たい」ウエイトを置いたのは、読者のうち誰にでもまあ一人や二人ぐらい近親者にそういう人がいる(いた)であろうという意味では、釈迦のゴータミー説話のごとく正解でもあり、一方で残念に思うのですが、限界でもあったのかと。
 
俺に近い体験があるので、ちょっと目をそらしたくなる感はなきにしもあらずというのを言い訳とした上で、俺個人としては、いわゆる「ガン文学」を一歩突き抜けたところの、旦那殺しの女とその旦那が象徴する「ちょっと信じられない死」を、ディープに読みたかったかな、と。

ある人物の死

旦那が妻に「自分を刺せ」と言った展開が、そしてその動機が、サイコな理論立ては一応されていたものの、他のふたつの「死」からあまりにもブッ飛び過ぎていて、そして、その旦那殺しの女と主人公があまりにスルリと愛し合う様が、なにかこう、作者が前半から中盤にかけて築き上げた主人公の神聖性を自ら引きずり下ろしているような気がして、彼を普通の人にしてゆくのが残念に感じました。
 
読了後、作中で最も“高み”に居たのは、全国を「悼み」行脚にでかける主人公ではなく、妻に殺された旦那だったんじゃないかと。「神仏さえ書けないであろう筋書きで命尽きる自分を見よ」というエキセントリックな人のほうが、全国をリュックひとつで歩いて廻る人より確実に少ないですからね。
 
ただひとつ嬉しかったのは、この作者が、前半まで読んで俺が感じた以上に、人間を信用していたということでしょうか。もしくは筆を進めるうちに胃がもたれてきたのかも知れません。
 
作中「誰を愛し、誰に愛され、感謝されたか」というフレーズが頻繁に出てきますが(自問して不安になった俺がここにいますが)、後半から終わりに向かうにつれ、ダーティな死は息を潜め、人を好きになろう、人は未来に生きるべきだというメッセージが強くなり、母の死を描きながらも、本を置いたときの不快感、倦怠感は一切ありませんでした。

成仏という考え方

ひとつ気になったのが、作中、旦那殺しの女に「旦那の亡霊」がずっと取り憑いているのですが、仮に説明のためとはいえ、これを解消するために主人公が「成仏のため」と語ったのは、いただけません。彼は旅の中で一貫して自分は宗教ではない、政治的な理由でもないと語り続けていたのですから。
 
(たとえば唯識思想的な、「人は死ねば無に還るだけ」という虚無感に反発しているであるとか、たとえば加害者の人権は配慮されるのに被害者がないがしろにされるのはオカシイであるとか、そういった「思想」をしょって全国を旅していたのなら、彼に神秘性はあまりなく、直木賞作品の主人公たりえなかったでしょうし、そもそも主人公は途中でその矛盾に気付いて家に帰ってきている筈です)。
 
俺みたいなもんが、アマゾン式に点数をつけさせていただくなら、星4つといったところでしょうか。
おもしろいか、おもしろくないかでいえば、「おもしろかった」です。

映画化されるみたいですね

この頃やけにこのページへのアクセスが多いので調べてみたら、2015年2月に映画が公開されるみたいですね。
 
監督、堤幸彦さん。
うーわー。
 
今からでも遅くないので、テレビドラマにしておいたほうがいいんじゃないか。
『ケイゾク』以来、この方のドラマにはスゲエ熱中させられたし、何の予備知識なく観た『SPEC』なんか、「あっ、超能力のウソを暴く話じゃなくて肯定していく話なのね! しかも日本のドラマで」という逆転に衝撃を受けたものですが、個人的に、この方が監督された映画で「エンドロールにこの方の名前が出るまで席を立たなかった」作品がないんですよね……。
 
これほど「極端にドラマに強くて、極端に映画に弱い」監督さんも珍しいと思うので、ぼかあドラマがいいと思うなあ。

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Author ウェブデザイナー久川智夫

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