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2007/

8

15

Wed

【レビュー】 MOTHER3 「俺たちの愛したRPGの終焉」

最後のスーファミゲー~RPGが一番大切にすべきもの

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このページは、久川がかつて2007年に立ち上げてクローズした趣味サイト『ゲーム第2世代』のリサイクルページです。

 
『MOTHER3』は、リメイクではない「最後のスーファミゲー」です。
スーファミ世代は絶対にこれは抑えておくべきです、お別れのためにも。
 
評価サイトなんか見ると、「なんで 64 で予告しといてGCやPS2じゃないんだ」とか「今時のゲームに比べると派手さが足りない」とか言っているポンスケ(追悼・三宅久之先生)がいましたけど、コンセプトが違うんだもんそりゃそうなります。
プレステ世代がそれ言うんだったらまだしも、ファミコン・スーファミを潜り抜けてきたオトナがそれ言ったらいけません。
誰が文庫本買ってきて「本から役者が出てこない」とか「本から音が聞こえない」とか言うのですか。本と映画、本とミュージカルは違うんですから。
 
根本的に MOTHER シリーズとFFとは違うんです。
むしろ、何で 64 で出そうとしたんだっつうほうに文句言わにゃいけません。
まあ、枠の中でどれだけ楽しませたかって意味で、「かばランチャーは笑えねえよ」というのは真っ当な批判だと思いますけど。

私論、RPGが一番大切にすべきもの

この MOTHER シリーズの肝はセリフです。
どうも勘違いしてる人がいますけど、ストーリーじゃありません。
 
もしストーリーで引き込みたいなら双子の兄弟の弟が主人公な筈ないし(何かのオマージュらしいが、どんだけ限られた境遇の人たちの共感を取り付けようと思ったんだ)、大体「泣ける泣ける」というほど、コピーに「泣くんじゃない」と付けるほど、このゲームは泣けるもんでもありません。
セリフを読ませるのに壮麗なグラフィックは必要ないし、むしろ想像力を殺ぐ3Dは邪魔になるし、糸井重里さんが趣味でやるならツクールで出しても全然成立するんです。
 
で、こんな狭いゲームの続編を 30 万人もの人間が 12 年待っていたというのが凄いことだと思うんですね。

RPGはすでに完成している

ハッキリ申し上げて、コンピュータRPGというものは、スーファミの段階で完成しているんです。
あとは手を変え品を変え表現を変えしているだけの話で、テーブルトークRPGというものがあって、その諸処理をオートメーション化したのがコンピュータRPGであり、そこで表現されるべきが「空想世界における冒険のシミュレート」だとしたなら、今のロープレは表現しすぎなんです。
RPGの本当の肝は「想像力」だったわけですから。

RPGの定義について考えてみる

ただし、3D以降のRPGが悪いわけではない。
『FF10』めっちゃいいですから。
ツレの家でチラッと遊んだけど『ブルードラゴン』も良かったなあ。
 
問題は「RPG」という名前ですかね。
「軍隊を自衛隊と呼ぶな」というのと逆の理屈で、RPGでないものをRPGとしてしまったところに無理がある。
 
世界初の3DRPGが何だったのかは知りませんが、そいつは「RPG」ではなく何か新しい名前を与えられるべきだったんです。
そいつがロープレを名乗ってしまったせいで、「新世代のRPGたるものこう進化せねばならん」ということになってしまった。
 
NPCの村人があんだけ少ないという一事だけでも世の中のオフラインRPGがRPGらしくない、12 年間も糸井重里さんを排除する環境になってしまったというのに、『FF6』と『FF7』が別物であることに気付いて、誰かが『FF6』に生きる道を(箱庭世界としてのRPGの後継者を)与えてやらにゃイカンかったんです。ドット絵職人を殺すことのない、ゲームボーイとか携帯アプリ以外の、真っ当な道を。
 
「RPGは映像よりストーリーだ」とはかねがね思ってましたが、『MOTHER3』をやって以降、「ストーリーよりもセリフだ」と思うようになりました。
いろいろ批判はあるこのタイトルですが、スーファミのRPGに熱中した人は、これは遊んどきましょう。
 

俺にとってのゲームの今

ライターのさやわかさんが新書『僕たちのゲーム史』に「1997 年にゲーム史の区切りがある、今のゲームに馴染めない人は、この年を境界としている」といったことを書いていて。
この指摘に膝を打つと共に、『MOTHER3』の発売時、糸井重里さんと伊集院光さんが、ネット動画の対談で「今のFFには馴染めない」と言っていた理由も氷解したという。
 
他の人はどうなのか分かりません。が、俺は単純に、俺にとっての懐古趣味の終わりのボーダー、それが 1997 年ということですね。
んで、懐古趣味ということは、「あの頃は良かったと思わせるもの」があったワケなのですが、俺にとってそれは「箱庭感」でした。
 
俺は、FF7では、村人に何人も何人も何人も話しかけたかったんです。いっぱい話しかけて、ちょっと面白いことを言うシャラクサイ村人を好きになりたかった。でも、過疎化が半端なかった。
俺は、FF7のボスキャラには、積み木を重ねただけのポリゴンCGがクネクネ動いているより、絵画かよ! というぐらい精緻なドット絵の止め絵であってほしかったんです。
「止め絵でもいい」じゃなくて、頭の中で強力な技とか想像したいから「止め絵であってほしかった」。
ボスがポリゴンCGでクネクネ動くと、恐怖感を出すために、BGMも映画音楽になっていく。俺は、映画音楽より胸熱曲が聴きたかったんです。
※ 一般的なRPGにおいての例。FFはむしろ『10』ぐらいまでは映画音楽じゃない胸熱曲が多い。
 
かくて、ゲームは箱庭ではなく映画舞台となり、自分も大人になって、やりこみではなく「友人と話を合わせるため」のプレイになっていく。
 
で、これがまた困ってしまうのは、今(2014 年)はちゃんと箱庭ゲームがあるんですね。
あの 1997 年近辺が、カートリッジから CD-ROM に変わっていく端境期だっただけで、今はスマホのアプリがあったり、『ポケモン』なんて、ドット絵がグリングリン動いている。あの頃にこれ欲しかったなあ…。
 
例えとしては「言い過ぎだろ!」とも思うのですが、1997 年にポル・ポトがやってきたんですよ。で、ポル・ポトとは逆に、俺たち旧住民が追い出されて、適応できる新住民が残ったんです。
でも、いつしかポル・ポトはいなくなっちゃって、「あのやり方を極めたらこんな素晴らしい映画みたいなのができました」とか「昔の文化にもこんなにイイのがあったよ、ていうかこっちのほうがカネ掛からないからこっちでいこうよ」とか、いろんな意見が出てきて、それがDSの脳トレになったり、スマホアプリになったりしている。
 
「ゲーム離れ」とか言われていますが、まあありきたりな意見ではありますけど、ファミコンからずっとこっちバブルが続いていただけで、いつの間にか適正人口になっただけ、という気もしなくもありませんけどね。
 
強いてこれからのゲームに望むのは、「うちの子が突き詰められるものを」といったところでしょうか。
俺には寝ても覚めてもマリオ、寝ても覚めてもFFという時代があって、それぐらい中毒にさせてくれるものがあって、あの頃つちかった「はまり道」みたいなもののお陰で、いまゴハンを食べられています。
 
俺はもう大人になってしまったヒゲの濃いウェンディなので、今の子たちと一緒に飛ぶことはできませんが、フースーヤがWメテオ撃ったときのような胸熱を、うちの子に与えてほしいと願っています。

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Author ウェブデザイナー久川智夫

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