去年BOXが出たばかりの大河ドラマ 『太平記』 にまつわるレビュー。
スター(当時は新人だった)が続々でてくる、大河史上最高峰ともいうべき作品です(スターダストレビューとは関係ありません)。
Contents
日本史好きの自分が、一番好きな時代がこの「南北朝時代」である。
前に何かの本で読んだのだが、日本の歴史区分の中で、最も人気のないのがこの時代らしい。
DVDを観てもらえばお分かりになるだろうが、この時代は「人物相関図」がムチャクチャであり、そもそも「他の時代の予備知識」というものが全く役に立たない。
ドラマにしづらいであろうし、「人気がない」というより、あまりにも「知られてない」というほうが、実状に近いのだろう。
『太平記』という題材そのものが、皇室の分裂という微妙な時代を扱っているため、右の方向からためらわれ、左の方向からは、楠木正成という英雄が戦前は神のごとく扱われた記憶により、忌避されてきた。
そのため、歴史に興味がない人でも「坂本龍馬の時代!」といえばあのカンジ(黒船とか新撰組の装束とか)が頭に浮かぶだろうし、「信長の時代!」といえばそれなりに、前提となる時代背景を脳に描くことが可能であろうが、この時代は過去にほとんどドラマ化されておらず、予備知識を持ちにくいのである。
それを、国民的番組枠であるNHKの大河ドラマでよくぞやってくれた!
しかも 20 年も近く前に! ここをまず賞賛したい。
鎌倉時代と室町時代の間。
室町と安土桃山をつなぐのが戦国時代であり、江戸と明治を繋ぐのが幕末であることを考えると、この南北朝も充分に「人気の時代」たりえたのだが、上記のような複雑さによって、どうにもこうにも人気がない。
南北朝は、平安時代のように日本の「女性らしさ・優雅さ」を象徴する時代でもないし、室町後期のように、わびさびを始めとした「日本らしさといわれて思い出すもの」を象徴する時代でもない。古代史のように「推理」を楽しむこともできない。
しかし、群雄劇としての南北朝――つまりこの『太平記』の時代は、戦国・幕末にも匹敵する血湧き肉躍る区分であり、三國無双の方角からやって来たレキジョさんのような「にわか」がなかなか入り込みづらいあたり、とても気持ちよい時代なのである。
このドラマにおいて陣内孝則が演じる、佐々木道誉を始めとした「バサラ大名」という面々は、いわば天皇家を何とも思わない連中である。中には、酔って上皇の馬車に弓を引く者さえ現れる始末。
これは他の時代には例がない。これをやったのは、戦後になって火炎瓶持ってあばれた人たちぐらいだろう。信長も家康もやらなかった。
ではこの時代、皇室の権威は失墜していたのかといえばそうではない。※
軽んじられたのは分裂した片方の「北朝」だけであり、この『太平記』の時代のいわば震源地ともなった後醍醐帝の「南朝」は、その子の時代となっても権威を保ち続けた。足利尊氏などは、自身が北朝の保護者であるにもかかわらず、弟に勝つという目的のため南朝に降伏したりもしている。
※ 劇中、片岡孝夫さん演じる後醍醐帝は神々しく演出されており、北朝との対比が描かれていて、おそらく新政当初はこの通りだったのだろうと想像させるが、子孫は没落し(森茂暁さんの著書『闇の歴史、後南朝』に詳しい)、その怨念が熊沢帝のような「歴史におけるサシミのツマのような存在」を生み出したことを考えると、歴史のダイナミズムに触れた気がして楽しくなる。
ここらへん、本当に理解が難しい。毎回毎回ジックリ観なければならない。
「天下統一のため毛利軍を攻撃する秀吉」といったシンプルな筋運びに慣れてしまうと、「一体なんでコイツとコイツは戦ってるんだろう?」という点からしてもう分からなくなってしまう。
「昨日の敵が今日は味方」のややこしい時代なのである。
敵味方の区別こそ極めて複雑ながら、登場人物唯一の共通点といえるのは、そのほとんどが「節操がない」という点であろうか。
足利尊氏などは、後醍醐帝のお陰で鎌倉幕府に勝つことができた。が、天皇が武士の権利を認めてくれないので、反対側の天皇を立てて武士の世の中を作ろうとする。忠義や礼節よりも実利であり、時代の要求だ。
その後醍醐帝をしても、武士の血が流れたお陰で鎌倉幕府を倒せたというのに、尊氏たちを認めようとしない。身内のお公家さんに対してばかりご褒美を出し、世の中に武士は腐るほどあふれているのに、幕府など二度と開かせまいという覚悟だ。
そんな中をフラフラと漂うのが、佐々木道誉(陣内孝則)や高師直(柄本明)のような、究極の実利主義者「バサラ」。表現は悪いが、彼らはもう街のチンピラだ。
結局一番スジが通っているのは、後醍醐帝に尽くして玉砕した楠木正成ただ一人ではないのか、という哀しい物語こそ『太平記』であり、そして、これを演じるのはあの武田鉄矢さんなのである。
楠木正成は、とにかく後醍醐帝に尽くした英雄として知られている。
自決の際、弟と共に「7回生まれ変わっても天皇に逆らう敵をやっつける」と言ったぐらいの忠臣で、戦前はこの人物が日本人の模範として伝えられてきたし、高齢の視聴者は、そんな正成しかイメージになかったことだろう。
だが、武田鉄矢さんの演じる正成は違う。
小汚い子供たちを従え、自らクワを持って畑仕事にあたる、実に泥臭いオッサンなのである。
古典のように「生まれ変わって天皇のために」とは言わない。今際の時にも「平和な世に生まれたい」と言う。
はっきりいって、劇中で浮いている。大楠公はもっと神々しく、何ら瑕瑾の存在する余地のない人物ではなかったのか。
尊氏(真田広之)も、弟の直義(高嶋政伸)も、新田義貞(根津甚八)も、いずれもみんなたっぷりと人間くささを持っている。しかし、この武田版の正成には及ぶべくもない。
古典の名シーンをねじ曲げてまで押し通したこのキャラクター設定の妙も、ぜひ注目すべきポイントであろう。
「勧善懲悪のドラマ」がもたらす危険性、幼稚さ、アメリカ的なアホっぽさについては、もうこれだけ価値観が多様化した時代にあって誰もが気が付いていることだろうし、そもそも「敵=悪」の作品は、十歳をすぎれば飽いてくる。力道山と悪役レスラーの時代じゃあるまいし、シャアやデスピサロにも正義も存在するということは、もうみんないい加減わかってきた。
しかし、水戸黄門にでてくる悪代官の影響なのか、そんな時代にあって大河ドラマだけはいまだにそれをやっている。
秀吉を傲慢でみじめな悪人として描いたり、公家達はコソコソと陰謀を企むだけの小悪党としている作品が後を絶たない。それは人間を描いたということになるのだろうか。
だが、名作と呼ばれる大河作品にはそれがない。
『葵 徳川三代』 において、江守徹が演じる石田三成はどうであったか。彼は忠臣の模範として描かれたが、主人公の家康(津川雅彦)の敵であった。そして、家康もまた非情な人物であった(史実通り、コリコリコリコリ爪を噛みまくっていた!)。これが、社会的動物を描くということだろう。
この『太平記』においても、悪の総本山として描かれた長崎円喜(フランキー堺)が、最後の決戦に臨む肉親を気づかう言葉を吐く。古典ではあれだけ悪人とされた北条高時(片岡鶴太郎)も、偉大な祖父に比べられ続けたコンプレックスからひねくれてしまった、としているし、幕府の滅亡を前に「愚かな高時がこの日を招いた」と開き直るシーンがある。
人間とはそういうものではないのか。
「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」のであり、その逆もまた然りなのではないか。
一方『北条時宗』の反得宗家の連中は、本当にただの悪党としてのみ描かれていて面白みがない。
モンゴル兵に到ってはダースベイダーで、ブキミに軍靴の音を響かせ前進するだけであり、人間らしさは皆無である。
反対に『新撰組!』の新撰組は人間らし過ぎて、逆に人間らしくない(!?)といえる。
三谷幸喜さんの作品は好きだし、新撰組が忠義の人たちであったことに文句をいうつもりはないが(宇都宮を焼いた連中だとは認識しているが)あの部隊の連中がああも清廉潔白で、思いやり豊かな人たちであったとはゼッタイに考えられない。史実と照らし合わせるまでもなく、ドラマとして不自然だ。
連合赤軍の「総括」並に、ささいな落ち度を理由に味方を殺してきた連中である。
「とにかく近藤さんは知らなかったのだ! 部下が勝手にやりました」というようなスジ運びがどうにもウサンクサイし、敵という敵がみんなして「死の寸前に味方になる」という展開が、正直ついていけなかった。
一部の史書に語られているのでネタバレにはなるまいが、『太平記』最終回において、尊氏は実弟を毒殺する。
息絶えた弟・直義を抱きかかえながら、尊氏は「弟を殺した!」と絶叫するのである。
自分には弟はいないし誰かを殺したことがないので分からないが、感情が激したときに発するのは案外こんな台詞なのではないだろうか。
このあたりも人間らしい、と思える。
とにかく大河をみるなら『太平記』 。
どうせ 50 時間を過ごすなら、楽しく過ごしましょう。
ギバちゃんと宮沢りえのパートが鬱陶しいときもありますが、本作以上のオススメはありません。
大河恒例の、オープニング曲前に「前回までのあらすじ」的に時代背景を説明する部分があるんですけど、ここで使われている曲(サントラ名・敗者たちへのレクイエム)がまたイイんですよねえ。
裏切りと降伏と内ゲバの繰り返しの、いかにも徒労で陰気な時代背景が伝わってくるようで。
三枝成彰さんだから、ちょっとガンダム入ってるし。
それ以外の劇中曲も「追い詰められて遂に起つ!」感の出たものが多くて、すごくシビレるんだよなあ。
Author ウェブデザイナー久川智夫
せっかくなのでこちらの記事もご覧ください
この記事のトラックバック用URL
アンコール大河ドラマで『太平記』をやってます
昨日の朝は、第3回で、後醍醐天皇の登場でした。
出てくる俳優さん、誰もが若くて、すがすがしい感じです
衣装も素晴らしい!
2月に歌舞伎座で仁 左衛門さんの菅丞相を見た時も、直衣姿にうっとりしました
あんまり良かったので、あわてて千秋楽のチケットを買って、再度、見ました
(その後、3月からは歌舞伎座も中止になってしまったので、見ておいて満足です)
第1回の闘犬シーンを、やるかやらないかでスタッフはもめたという
やらないと言ったのは、佐藤幹夫チーフディレクター(のちに『坂の上の雲』を制作)「闘犬なんて、うまくいきっこない」と思ったそうです
でも、いざ、やると決まったら、意地にかけてもやるぞ~と、力を入れて、やりきりました。ほんとに、見ててハラハラする、素晴らしいシーンでした