このページは、久川がかつて1999年に立ち上げてクローズした趣味サイト『GUNDAM DICTIONARY WEB』のリサイクルページです。
なお、このコラムの執筆は2006年であり、その後に発表された作品の中で塗り替えられた設定等があるであろう旨、ご考慮いただいた上でお読みください。
さて、先ほど述べた地球人と宇宙移民者との最終戦争は、ムーンレィス社会の確立からおよそ 2400 年前の出来事である。
人類の最終戦争をその眼で見たという、アグリッパの瞳は赤い。
結局彼はそれほどの人生を送ってきたわけではなく、その欺瞞はディアナによって看破されてしまうのだが、それでも初代アグリッパは最終戦争を目撃していた筈だ。
この時代の宇宙移民者とは、半ば本当の意味での宇宙人――地球外生命体のような存在だったのだろう。『MADWANG1160』で語られる「外宇宙連邦」という存在がこれに違いない。彼らは地球圏と争いながらも、外宇宙へと勢力を伸ばしつつあった。
Contents
それでも戦争をやめられず、地球と争い続けた彼らは、やはりまだニュータイプではなかったのだろう。
しかし、地球と繰り広げたアーマゲドンが、彼らをいよいよ真のニュータイプへと進化させた。
――アグリッパは言う。「ニュータイプとなった人類は、外宇宙へと旅立っていった」と。
ディアナは「アナタがそれを見たのか」と水を注すが、彼女のは人類の革新を信じての言である。事実、ソレル家やメンテナー家の祖先はそれを見たのだろう。ルナリアンの生き残りにして、飽くまで母星としての地球に固執し続けるムーンレィスも、やはりニュータイプなどではない。
真なるニュータイプは、もう地球圏にはいないのだ。
一万年前、レビルは言った。「ニュータイプとは、戦争をしなくてもよい人類のことだ」。
外宇宙へと旅立っていった人類がニュータイプとなったのならば、きっと彼らはもう戦争の歴史を繰り返すことはないだろう。
そう悟ったからこそ、ソレル家はカイラス・ギリを月面に引き戻したのだ。
あれが地球を向いているのは、地球に住む者達の性根の恐ろしさを充分に感じていたからである。
開眼した外宇宙の人間よりも、野蛮な地球人こそが真に恐ろしい――。
オールドタイプ同士の近親憎悪が、アグリッパのような盲信者やテテスハレ親子のような迫害の悲劇を生んでいたに違いない。
だが地球に住む連中は置いても、外宇宙に住む人々は地球の重力を振り切って、二度と地球圏に戻ってくることはないだろう。我らの愛するアムロやシャア、東方先生や、あまり愛しちゃしないけどキラヤマトにカガリすら呑み込み、以降数百年に渡る戦争で、幾万幾億の命をも呑み込んだ地球の重力。
多くの指導者の我を育て、互いの理解を妨げ、ガンダムという戦争アニメが戦争アニメとして存続しうる根拠。「地球の重力」が存在せぬ処に戦争は起こりえず、全ての人がニュータイプとなったならば、ガンダムがガンダムとしてすら存在しえない完全なる悟りの境地に、彼らは到ったのだ。
これは、かつてリリーナが唱えた「完全平和主義」などというイデオロギー的なものではない。
幾多の戦争を経て、永い永いアーマゲドンの時代を経て、人類は生物として進化したのだ――。
※ 後日追記。管理人久川によるこれら厭世的な「ナウシカ・パンツァードラグーン史観」は、あきまんこと安田氏の外伝解釈が生まれる前に記されたものである。エースに掲載された外伝によると、外宇宙に旅立った新人類は、宇宙領土拡張の末に地球の位置座標さえ忘れた開拓民だと説明されている。そして、月に残された転送ゲートが開こうものなら、遙かに進んだ科学技術を持ったそれら文明人たちが地球にとって返し、ムーンレィスを滅ぼす危険性さえあるのだという。
※ ――が、福井小説版は∀に残されたメモリーという「一次史料」であるのに対し、あきまん版は実証不可能の伝説的な新人類像であるし、書き換えるのも暑いししんどいので、その概要を記すにとどめた。
しかし、ムーンレィス指導層の心に残る外宇宙人への微かな恐怖と、地球人への大きな危惧が、ソレル家にカイラス・ギリの解体を躊躇わせた。
ニュータイプにはあんなもの必要ないし、「闘争本能」などという言葉で自戒する必要もないではないか。このことが、ソレル家を始めとしたムーンレィス指導者層に「ニュータイプは一人もいなかった」と思える所以だ。
ディアナも然り。
終盤ムーンバタフライを駆って戦った彼女もまた、ニュータイプではない。「古きを恐れず」というグエンの言にも一理あるが故に、それを否定するために戦ってしまったディアナは、結局「我を通した」オールドタイプなのだ。
彼女は自分をよく弁えている。ロランを指して言った「あなたはニュータイプ」という言葉には、哀しいかな女王ディアナの一層の弱さが見て取れる。
私は、今まで観てきた様々なガンダムという作品を基に、ニュータイプという存在を次のように定義している。
「以心伝心によって、相手の本音を感じられる人々。戦いを嫌う人々。どうしても戦わねばならないときでも、主義主張や体制にできるだけ関わり無いところで戦える人々。財産や家名、地球に固執しない人々」。
無論、真なるニュータイプは戦争をしない。
ジオン・ダイクンが唱え、敵将のレビルまでがその存在を信じたニュータイプ、「戦いに疲れた人々の生んだ願望」たる「発展途上のニュータイプ」に当てはまるのは、一年戦争当時のアムロをはじめとして、ララァも、彼女と出会った直後のシャアもそうだろう。ジュドーやプル、クェスにシーブック、ウッソもそうに違いない。シローやコウ、Gガンダムの住民はどうだろうか。彼らの場合、愛やら意地やらに依るところが大き過ぎるような気もするが……。
※ 後日追記。後になってウィキペディアで読んだのだが、どうやら「コズミック・イラは∀の後か前か」という議論があって、そこでは「∀よりSEEDのほうが後に制作されたのだから後だ」という意見さえ出ていたという。黒歴史との位置関係についてはさておき、さきの意見は反証するにも値しないオサルの浅知恵であろう。お分かりにならない方は、スターウォーズのDVDをエピソード1から順番に並べて、その制作年を調べてみるがいい。あるいは、スト2でガイルのエンディングを見た後、ストZEROをナッシュで遊んでみるのもいいかも知れない。ゲームかよ。
※ ――それはさておき、歴史の順番的には、やはり∀のほうが後だと私は考えている。なぜなら、SEEDの劇中に月光蝶またはムーンレィスの都市以上のオーバーテクノロジー描写は一切ないし、クジラの風呂敷ひとつも畳めない三下作品が∀の後というのもチャンチャラおかしいし、『ターンエーの癒し』で監督が嘆いた平成ガンダムの閉塞感を再び呼び起こした作品を、それを打破すべく作られた∀の後に、設定上とはいえ置いてしまうのは、情においてしのびないものがあるので、あるいはXの時のようにパラレルという安易な解決方法を採らない限り、Wの前に差し込むのが正しい処置だと私は思う。
先の私観条件でいえば、ニュータイプとされるのはなにも何も宇宙世紀の連中だけではない。リリーナと出会ってからのヒイロもそうだろう。DOMEによって否定されたが、全肯定でガンダムを語ればティファなどはその代表格だ。
そして、あのロラン・セアック――。
何も、何一つ持たない彼こそが、私には最もニュータイプに近い人物と思える。
(ところで、先程の私的なニュータイプ定義にもうひとつふたつ加えてもいい。それは「やたら独り言の多い人々」、「作者の都合によって様々な霊的奇跡が起こる人々」――笑)
新書版では終盤、ロランと崩れゆく∀とのやりとりを覗うことができる。
そしてロランは知る。自らが∀に選ばれた理由と、その理由の中にある古代人たちの考えの狡さを。
――だが、ロランに見抜かれる古代人の知恵とは一体何なのだろう。
技術力に頼り、地球をひとつの永久機関とした古代人。そこに住まう人々のメンタルの面を一切無視して地球の永遠を望んだ彼らはニュータイプではない。滅びるべくして滅び、その子々孫々までもが業に縛られて生きる定めにあるのだ。ロランなどは、∀が苦慮の末ようやく見付けたミュータント、かつてのアムロたちと同じ、兵器に魅入られた偶然の産物に過ぎないのだろう。
ニュータイプへの進化を果たすことで戦争を乗り越え、外宇宙へと旅立っていった人々と、進化を果たせず戦争を必要悪として、妥協をしてしまった人々。破壊と創造の繰り返しによって螺旋を描き、いつかは「高みに至ル」と信じた彼らの足掻き。
結局ディアナは、グエンやアグリッパの望むなまじの発展を跳ね除け、元々人類が営んできた土と死のある生活に立ち戻ることを人々に説くのだが、これはニュータイプへと進化できなかったオールドタイプが、反動的にも一周廻って逆にアーキタイプたらんとした諦めというより悟りが観て取れる。
ディアナの目指したものは、「退化」という形をとった進化なのではないか――。
彼女が地球に望んだものは、望郷の念より発する「帰還」ではなく、ムーンレィスのアーキタイプへの発展を企図しての「進出」ではなかったのかと、そのように察するのだが如何なものだろうか――。
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