鶴瓶・上岡パペポTV
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PAPEPO FOREVER

What's PAPEPO
『鶴瓶・上岡パペポTV』とは、1987年4月14日から1998年3月31日にかけて、よみうりテレビ制作(日テレ系列)で放送されたトークバラエティ。昨今のお笑い番組に見られるような騒々しいテロップが一切無く、素材をそのまま切り出したような造りが特徴。今なお多くのファンが存在する。
笑福亭鶴瓶
1951年生まれ。六代目松鶴の十一番弟子として落語家デビュー。実体験を基にした鶴瓶噺には定評があり、ラジオパーソナリティ時代以来の根強いファンが多い。若手芸人のようないじられキャラから、映画俳優までこなすマルチタレント。ベーさん、ベー師匠の愛称で親しまれている。
上岡龍太郎
1942年生まれ。漫画トリオのメンバーとして漫才師デビュー。後年のファンからは『探偵!ナイトスクープ』の初代局長として知られる。切れ味鋭い毒舌家ながら、愛嬌のあるキャラクターが愛された。2000年をもって芸能界を引退。占い師・心霊にまつわるエピソードは今もって語り草。
No.205
1991/04/26

あのねのね

No.205 は、「お笑いにウォーミングアップにないのか」という話題から、龍太郎暴投につきもっぺん登場した後、『ラブレター』 を終えた感想。喋ることの難しさについて、昔なつかし香具師のオッチャンについて語った。続いて医者トーク。「堀ちえみを取り出した産婦人科医」、「医者がマスクをしている本当の理由」、「脳外科医の苦労」と流れ、「パラシュートを忘れたカメラマン」など。後半は、あのねのねデビューと清水・原田との関係性、「学友のアレがチャックにはさまった!!」など。

今日の鶴瓶噺

(芸人にも、ピッチャーのように試し投げが必要なのではないか)――「だから、ちょっとオモロイことかどうか調整するわけ。例えば… "太い鼻毛 !! " とか言うて。…こんなんウォーミングアップせんでもウケるなあ!」

(上岡さんと舞台 『ラブレター』 に立った、加賀まりこから電話が)――「 "良かったぁ! " って、物凄い興奮してましたけど…アンタ何しはりましたんや」

(あんまり好きくない医学用語)――「クランケ。…それはあんまり言わん。なんかフランケンみたいやん」

(脳外科医に聞きました)――「脳切ってる最中に、"…これなんやろ…? " って思うときないです? って聞いたら。"ある! "って。うはははは」

(あのねのねの歌詞はほとんどが)――「江戸小咄なんかいろいろあるわけですよ。そういうなんをモジってアイツらに喋ってたのを音楽にした。だから、大体の発祥は落研の僕なんです」

(愛すべき自由人)――「俺と清水さんとは、京都の三木半という旅館で知り合うたんですよ。アルバイトで。俺と清水さんとが一緒に住んでたんですわ。あのオッサン寝袋で住んでたんです。"ほんならなあ"言うて、ミノムシみたいに。不思議な人ですよあの人は…。今でも尊敬してますけどね」

今日の上岡語録

(声色は豊富ですか?)――「 "声の力でねじ伏せんことにはお客さんが笑わん" というような段階を経てるから、大体僕らは声の出し方がワンパターン。一定ですよ。その点あの声優さんとかは、役者というのは声の出し方・強弱とか、そういうもんがかなり使い分けするんでしょう。僕らそういうことでけへん」

(浅岡ルリ子さん)――「 『緑はるかに』 の時はとにかく可愛かった。この世のもんとは思えん美しさ。つまり人間の美しさやなく、今でいうと、眼に星の入ってる少女マンガ。ああいう美しさ。絵の中から抜け出したような」

(医者がマスクをしている本当の理由)――「笑ろとんねん、マスクの下では。マスクみたいなもんで何が防げるいうたら、そんなん医者ならば分かるやん、ガーゼごときで何が防げるって、防がれへんやん。せやから笑い顔を隠すため。あの下ではニッタァ〜笑ろとる」

(あわや大事故)――「スカイダイビング。最初は宙を泳いではるやん、五人ぐらいでチームになって。アレを撮るカメラマンが一人、飛び出して、……パラシュートつけるの忘れてん」

(困った! スキューバダイビングで潜れない)――「こういう、困ったときには原点に立ち返らなければいけない! シャーロックホームズもそう言うてた! 迷ったときはまず原点や! 小学校の算数の先生も言うてはった。途中でわからんようなったときはまず原点へ!」

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THEME SONG : CAN'T DENY A BROKEN HEART / ANNICA

BEGINNING DIALOG : 「久しぶりでんな、それ言わはったん…ええ」

ENDING LETTER :(ハガキなし)/ 山家漬

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