鶴瓶・上岡パペポTV
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PAPEPO FOREVER

What's PAPEPO
『鶴瓶・上岡パペポTV』とは、1987年4月14日から1998年3月31日にかけて、よみうりテレビ制作(日テレ系列)で放送されたトークバラエティ。昨今のお笑い番組に見られるような騒々しいテロップが一切無く、素材をそのまま切り出したような造りが特徴。今なお多くのファンが存在する。
笑福亭鶴瓶
1951年生まれ。六代目松鶴の十一番弟子として落語家デビュー。実体験を基にした鶴瓶噺には定評があり、ラジオパーソナリティ時代以来の根強いファンが多い。若手芸人のようないじられキャラから、映画俳優までこなすマルチタレント。ベーさん、ベー師匠の愛称で親しまれている。
上岡龍太郎
1942年生まれ。漫画トリオのメンバーとして漫才師デビュー。後年のファンからは『探偵!ナイトスクープ』の初代局長として知られる。切れ味鋭い毒舌家ながら、愛嬌のあるキャラクターが愛された。2000年をもって芸能界を引退。占い師・心霊にまつわるエピソードは今もって語り草。
No.254
1992/05/01

肛門

No.254 は、新幹線のぞみに関して、その個室車とハンガーの位置に怒ってのスタートとなるも、いきなりテーマはシモへ。肛門科を選ぶ医学生を褒め称えた後、「ウンコで字を書くあそび」へ。中盤、「ガイジンになれるならナニジンになりたい ?」から、アメリカ人は「英語おぼえたての日本人のモノマネができるのか」などへと流れ、龍太郎師匠の歌に関する記憶力を証明するため、二人で唄ったのが「村の鍛冶屋」の歌だった。ほか、「キライだったルー大柴に慣れてきた !」など。

今日の鶴瓶噺

(二人で JR の個室車に怒る)――「なんでんのん。何に怒ってんのん。怒るの統一しよ !!」

(設計者でてこい)――「大阪空港から梅田の環状線まで来る、塚本のあそこ !! アレ誰が作ったんだ、名乗ってほしわえ !! 私が作りましたと、七キロ渋滞やったら家族で謝れ !!」

(ビッフェの食事)――「全然ウマないよ。正直言うて。いっこもウマないよ。JR! JR! 聞いてるか ?! そんななんかアレ、癒着あんのちゃう? 全然美味ないよ、ハッキリ言うて。…怒ってえな、俺ばっかり言うて、俺も怒りつつ段々コワなってきたんや…」

(長い付き合い)――「龍太郎師匠はもう分かるんです。なんかねえ、自分が理屈通ってないけど通そうと思もたときはねえ、鼻がフーゥってふくれるでしょ」

(使わない英会話。This is a pen や I am a boy が必要な理由)――「だから、漫才が笑わすために使うのに、要るんでしょうねえ」

(上岡少年の校歌。♪にょいを登りて〜 あさひ〜かげ〜)――「…台湾でっか?」

(あの CM ソング)――「 『いつでも夢を』 いうのを二人で歌とてまんがな、真っ赤な服着た中国人が。さみしそ〜な眼えして。歌え言われてるから。無理から言われてんねやろなあ。拳銃持って言われてんちゃう ?」

(志望の動機)――「俺は小川宏ショーで、初恋のご対面をしたいがためにこの世界入ったようなモンでっせ?」

(師匠曰く "日本人の黒いヤツがクロマニホン人")――「お前ら笑うからや !! アホかあ !! どこがオカシイねん我慢せえちょっとは !!」

(ツアーなんでグッズを作りませんか)――「シューッて、チョロ Q みたいに、シューって… "走る上岡龍太郎" 」

今日の上岡語録

(JR 。電車の個室)――「あの個室をデザインした人。あすこへいっぺん乗って旅行してみい。あのハンガーは、あすこに掛けられるか ?!」

(車内の売店にて)――「この頃、なまじこんなパックに入れたんとかちょっと売っとんねん。ウマない! あんなもんウマいと思もてる神経疑うわコラ! ようあんなもんカネ取って売るなあオマエら !!」

(ガイジンの英語がカタコトな理由)――「僕も喋れませんが、英語そのもんを分解したら、割りとカタコトでしょう?」

(村の鍛冶屋をなくすな!)――「アレだって "ふいごが無い" やとか、無いからこそ歌で残してほしい。ね? しばしも休まずつち打つ響。"子供にワカラン"って、ワカランから教えんといかん!」

(ブームが冷めると一斉に消えゆく番組)――「ブームはなくなっても漫才はあるんですから。今やらなどうすんねんアホやなあっちゅうねん。全部がやったときやったって、その局の特色出ェへんがな!」

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THEME SONG : CHIC MYSTIQUE / CHIC

BEGINNING DIALOG : 「ふふ…また来てるヤツいてる…」

ENDING LETTER : ジャパンツアーをやるのにポスターは作らないんですか?

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